訪ねたい桜の樹があった。
「崎守の一本桜」という名前がついている、山桜の樹。
2009/5/10 6:40 |
樹齢100年以上、高さ10mほどと言われている。
2009年5月。僕は朝早く起きて、この樹に会いに来たのだった。
あれから6年半。
桜の樹は、今、どうしているだろう。
季節が秋から冬へ、変わってしまう前に、秋の桜に会いたくなったのだ。
洞爺湖畔の道道578号線を進み、昭和新山の横を抜けて行く。
2015/11/1 12:57 |
散る前だというのに、なんて明るい色だろう。
急いでいるのに、つい立ち止まってしまった。
2015/11/1 13:05 |
まぶしいほどの輝き。昭和新山が頭を出している。
同所、同刻。 |
陽射しが暖かい。
道道をそのまま進み、国道453を過ぎて、道道519を太平洋側へ進む。
伊達の街からは国道37号線を室蘭へ向かった。
市街地に入る前に道道107号線に入り、ちょっと行くと、室蘭インターの入り口にたどりつく。
そこに崎守の桜は立っている。
いた。
葉を全て落とし、牧草地の中に、ひとり、立っていた。
以前に会った時よりも、枝が減ったように思える。
老化が進んだのか。
よく見ると、幹があちこち、伐られている。
専門家でないので、詳しくはわからないが、たぶん、延命のため、腐って痛んだ部分を切ったのだろう。
光もたっぷり浴びるが、さえぎるものが何もなく、ふきっさらしのこの場所では、風の当たりも強いはずだ。
一般的に、樹の寿命は人間よりもずっと長いが、例えばソメイヨシノや白樺などはむしろ人間よりも寿命が短いと言ってよいくらいだ。
それでも、自分が生きているうちに、樹が老いていくのをみるのは、なにか、不思議な気持ちがする。
樹は生き物とわかってはいるが、長く生きてほしいと、どうしても僕の場合、思ってしまうようだ。
2015/11/1 13:37 |
遥か左奥、海が少し見えている。
秋の名残が少し残った林を背景に、牧草地の中で、ひとり立ちつくす。
山側の風景は変わっていた。
以前はなかった発電用の風車がならんでいる。
どうしてこの樹が見たかったんだろう。
暖かい日差し。日向ぼっこしているような気持ちで、崎守の桜を眺めながら、考えていた。
花が終わり、葉が落ちても、凛として立ち続けている、その姿を、見たかったのかもしれない。
いや、この桜の美しい紅葉に期待していたのだろうか。
自分でもわからない。
でも、冬が来る前に、秋のうちに、崎守の桜に会いたいと思ったのだ。
今日から11月。
雪景色になるのは、もう少し先。
秋と冬とのはざかいで、秋の一日の中の、ほんのひとときを、
桜の樹と分かち合いたかったのかもしれない。
いや、もっと単純に遠くまで来たかったのかもしれない。
いずれにしても、一日遅かったようだ。
紅葉が残り、風はおだやかで、暖かい日差しが背中を温めてくれても、
季節は冬へ。
ひと足、踏み出していたようだった。
冬の入り口で、本格的な寒さが訪れる前の、束の間のあたたかさを
葉を落とした枝全体で受け止めている桜に、僕は、
なぜかかなしい思いを抱きつつ、
立ち去り難く、しばらくは、桜を眺めていたのだった。
(つづく)
桜の樹には・・・
返信削除やはり、満開の花をまとった姿を連想します。
『あ、これ・・・桜の樹だね』
「じゃ、春になったら見に来よう」と。。
冬に向かう桜の樹。
春のために、
満開の花のために、
力をたくわえているのかも知れません。
tkjさん、こんにちは。
削除桜並木や、有名な樹でもない限り、
花をつけてない桜や枝だけになった桜は、ほとんど目立たず、
桜の樹だと認識されることも少ないような気がします。
この崎守の桜も、「株立ち」の、桜としては珍しい樹形ですので、
この冬の枝だけを見ると、僕自身、桜だと目に留まってはいなかったのではないかと思います。
tkjさんおっしゃるように、
秋が終わり、葉を落とした桜は、来春、花開く日を、じっと待っているような気がします。
樹生さん
削除樹の字を冠する樹生さんも、この冬に、
鋭気を養えることを願っています。
tkjさん、ありがとうございます!
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