2021年4月14日

春の歌(2)

2021/4/12 11:17
 
中山峠を下っていたら、ふきのとうに気がついた。
いや、それまでの道中にもたくさん出ていたはずがだが。
土手の中に小さく顔を出した一つのふきのとうに気が惹かれて、Uターンして止まるという、なんとも意味のないことをしたものだが、意味なんてなくても、好きなようにできるのがソロツーリングのいいところだ。
春だね。

中山峠を下りきって、喜茂別町伏見までくると、喜茂別川の開いた平地に畑が広がり、景観も開けて、尻別岳と羊蹄山が並んで見える場所がやってくる。
僕ら地元のツーリングライダーは毎回、この二つの山が並んで現れる瞬間を、反芻して、そして現実に見ることで、何回でも感動するのだ。

今日は少し行ってから、ちょっと国道を外れて、脇道から羊蹄山を眺めてみた。


2021/4/12 11:27
何処から見ても美しい。
おそらくは、羊蹄山が見える土地に住む人々は皆、自分の里から見上げる羊蹄山が一番美しいと思っていることだろう。そして、それは皆、正しいのだ。愛する山を、愛する土地から見上げる。それ以上の美しさがあるだろうか。

気まぐれ旅人の僕は、通りすがりのうすっぺらい感傷を、それでも気持ちよくなりながら、冷たい風に吹かれて、山に向けるのだ。
峠で見たときも美しかった。
しかし、近づいてきた喜びがある。
この山は、やっぱり特別なのだ。

2021/4/12 11:39

喜茂別から国道276号線を京極町方面に向かうと、国道230の分岐から尻別川の橋を渡って、1kmで羊蹄山のビューポイントがある。
僕も好きな場所だが、今日はその先にある、もう一つの僕のビューポイントに先にやってきた。

そこは羊蹄山に向かう右の畑に一本の背の高い松の木が立っている場所だ。
その松は、たぶん赤松だと思う。
北海道に自生しているトドマツやエゾマツとは違って、元々北海道にはない木だ。
たぶん、ここに入植した人が、本州から持ってきた松の苗を植えたのだろう。
松の木の年齢を一目見てわかるほど樹に詳しくはないか、あれだけ大きな松は、
植えてからもかなり立っているだろうし、しかし、樹齢200年を超えるような、そんな幹や枝の様子ではない。
完全に畑の中に立っているから、近くへは行けない。
でも、この松と羊蹄山は、とてもよく似合っている。
まるで富士山と月見草のようだ。

2021/4/12 11:48

引き返して、いつも立ち寄るビューポイントの近くまで戻ってきた。
この場所は、僕が20代だった30年前から好きで、立ち寄ると止まって羊蹄山を眺めてしまう場所だ。
しばらく前に、ここから少し下ったところに羊蹄山を展望できる駐車場ができ、「ビューポイント」として有名になった。

僕ら世代は、こういう感じの真っ直ぐの道を見ると「未知との遭遇」みたいだと言ったものだ。

30年の間に、道の両側の樹々は大きくなった。
特に左手の落葉松は、すくすくと伸びた感じがする。
一方、道幅や右手の畑の表情などは、ほとんど変わっていない印象だ。

そしてここを訪ねる僕の相棒は、GPz400F-ⅡからGPZ1100になり、MOTOGUZZIV7になった。僕自身、25歳から40代になり、そして現在は還暦まですぐのところに来た。

顔にシミができ、シワが増え、頭の毛は薄くなり、白髪も増えた。

時は、流れた。

2021/4/12 11:50

それでも、早春のこの山の表情は変わらない。
羊蹄山で僕の記憶にある一番古い写真は、25歳の4月だったか、ここに初めて来て思わずバイクを停め、カメラを構えていたら、向こうから一人のライダーが走ってきて、僕と目があったら、そのライダーが左手を空に向かって突き上げた。その瞬間の写真があった。
走ることの喜びを全身に表現し、それを確かに共有していた。
そういう思い出の場所でもある。

また、来よう。
何度でも。

ゆきかぜは知らない歴史。
ゆきかぜとこれから作っていく思い出。

僕らは再び走り出す。もう、昼も近い。
(つづく)

4 件のコメント:

  1. 樹生さん、こんばんは。

    >ゆきかぜは知らない歴史。
    >ゆきかぜとこれから作っていく思い出。

    樹生さんが長く積み重ねてきた、
    自分だけの歴史、自分だけの記憶、
    例えMCが変わっても、樹生さんの本質だけは、
    変わってない気がします。
    自分もそうですが、いまも変わらないものがあるのは、
    じつは不思議だったりです。

    そして・・
    その時々愛情を注いで来たMCとの旅の記憶は、
    何故か鮮明に、記憶に積み重ねられていて、
    愛おしい時間として、残っていたりです。
    MCは道具かも知れません。
    でもそういう記憶では無いのです。
    いつも傍らにMCが居た。

    見るもの、感じるもの、
    ゆきかぜとの今は、大事な記憶に残っていく、そんな気がします。
    自分は、シーズン中走れるのは30回くらいです。
    その一日一日を、一回一回を、味わっていたい気持ちです。
    そんなふうに走ること、ゆきかぜと過ごす季節を、
    大事に噛み締めて行きたいですね。

    返信削除
    返信
    1. selenさん、こんにちは。
      今回は早春の羊蹄山を見て、25歳の時の自分が甦ってきました。
      不思議です。

      IT革命とコロナウィルス流行によって急加速したICT化は、
      人間のあり方や人との関係性のあり方まで、一気に変えてしまいました。
      まるで、明治維新の時のようで、
      江戸時代に生まれ、江戸の世界の中で暮らしていたら、
      「今は明治11年だよ」と言われたような感じです。

      MCと人とのあり方も、変わってきた感じを受けます。
      もちろん、MCも文字通りの電気モーターを動力とする日も遠くないでしょう。

      江戸は遠くなりつつあります。

      ここでただのノスタルジーで江戸をなつかしむのでなく、
      明治に生き、明治を走りながらも、江戸の中で本当にすべてを唾棄すべきなのかを考え、
      細々とでも、江戸の生き方、江戸の技術を残し、伝えようとすることも、
      意義があるでしょう。
      同じように、明治に生きつつ、しかし個人の中でだけ密かに
      江戸にも生きているというような生き方も。

      MCはCMコピー上だけでなく、生き方や、たましいと響きあうところがあります。
      そのあり方は、残していかなくてはならない、少なくとも、自分が走る限り、
      忘れてはならない、決して忘れたくない、そういうふうに思うのです。

      削除
  2. 羊蹄山は道央地区の奇跡の様な山ですよね。色んな顔を持っているよね。春には春の、冬には冬の。

    ライダーはこの山を見上げて走る。美しく雄大な山は、ただ存在してるだけだろうけど、人はそれに思いを馳せる。山に感情は無いが
    人の心に影響を与える。命の限りが在る人は時間と共に去らなければならない。そんな切なさが陽気な春の風の中に在るから人は、一瞬でも
    良いから羊蹄の様な山に命を感じたいのでしょうね。

    返信削除
    返信
    1. いちさん、こんにちは。
      ふるさとの山、特に大きな山は、何か特別な感情を抱かせるようですね。
      長い時間をかけて地表に現れる伏流水の恵みや、森の恵み、生き物の恵み、強い風を遮ってくれる等、太古からの人間の営みと、山との関係が、そんな思いにさせるのかもしれません。

      今年も、いろんな山を見ながら、走りたいと思います。

      削除