2021年4月17日

春の歌(4)

帰り道。
朝、晴れ渡っていた空も、高曇りになってきた。天気は下り坂だ。 
洞爺湖の北岸、開けたところに、何か建っている小さな二階建て形式の祠のよなものがあって、ちょっとわざとらしい感じもあって今まで近づかなかったのだが、今回寄ってみた。

2021/4/12 13:18

公園から、湖に張り出した小さな島というか、洲のようなとこりに石の渡しがついていて、先に屋根を赤く塗った祠のようなものがある。
これは洞爺湖八景の一つになっていて、「浮見堂」というらしい。

2021/4/12 13:16
看板と石碑があって、由来が書いてあった。
大正時代、ここを旅した僧が持っていた聖徳太子の木像が納らていて、昭和12年(1937年)に建立されたものだそうだ。
平成15年(2003年)に落雷により一度焼失し、翌平成16年(2004年)に再建された。
この時、聖徳太子像も消失、再現して納められている。
ここは浮見堂公園となっていて、ライトアップがあったり、いろいろ演出もされるようだ。

それにしても、洞爺湖八景なんて、昔は聞いたことがなかったが、いつの間にか看板もできてたまに見聞きするようになった。
いつどうやって決まったのだろうと思ったら、環境省が定めたとあった。

北海道地方環境事務所では、G8北海道洞爺湖サミットの開催を契機に、国内外からの来訪者に洞爺湖の美しい景観を満喫いただく眺望スポットとして、「洞爺湖八景」を選定しました。
とあって、北海道サミットに合わせて環境省の北海道事務所が主体となって選んだことが分かる。官製の洞爺湖八景で、けっこう最近定められたのだった。だから知らなかったのか。

ちなみに、洞爺湖八景は、
 洞爺湖温泉   壮瞥温泉   滝之上キャンプ場   仲洞爺キャンプ場
 財田湖畔   浮見堂   月浦展望台   中島
である。

2021/4/12 13:21

空が曇ると、肌寒さがやってくる。
まだ春は浅い。

今日の装備は完全防寒。
ちょっと暖かかったさっきまでに合わせて、ウェアを少し緩めて風通しをよくしていた。

もう一回、しっかり締めて、冷えないようにして、走りだそう。

もう1時半になろうとしている。
遅くとも4時までには帰りたい今日。
最短距離を帰ることにした。

洞爺湖から230号線を喜茂別へ、そして中山峠を越える。
札幌側の下りに入った。

峠の気温は低く、雲は次第に厚さを増している。
しかし、防寒着のおかげで寒さは殆ど感じない。

中山峠の札幌側は稜線の上を走っている間、見晴らしがいいところが多い。
四季を通して、景観も楽しめる峠になった。

2021/4/12 ⒕:27

だいぶ下ってきて、もう少しで定山渓トンネルも近いというところまで来た。
この季節の景観を、停まってよく見ていなかったことに気がついた。

別に今でなくてもいい……。

でも、思い立った時が、いいタイミングなのだ。
ゆきかぜを停める。


2021/4/12 ⒕:28
白樺の白い幹。
トドマツの緑の枝。
その向こうに、まだ冬の面影を残した山々が遥かまで続いている。


2021/4/12 ⒕:29

隣の稜線に並んでいるのは、エゾマツたちだ。
こんな景色のところに、こんな快適な道路が整備されていること自体が驚きだ。

峠の上の方だから、強い風が吹いていていいのだが、なぜか風が止まっている。
雲は流れているのに。

不思議な瞬間だった。


2021/4/12 ⒕:30

見下ろした谷の深さが、今自分がいる場所の高さを教えている。
この連なった山を見ると、北海道だという気がする。

四国も、山深いところだった。
九州も山が連なりどこまでも続いていた。

でも、そこから見える風景の放つものは、北海道とは違っていた。
北海道の山の景色は、僕にはどこか人間を拒絶しているように見える。

なぜかはわからない。
ただ、それは20代の頃から、ずっと変わらなく思うのだ。
こんなに開発が進み、こんなに道路は快適になり、こんなに安全にツーリングできるようになったというのに。


2021/4/12 ⒕:31

今、降りてきた道が、峠まで続いている。

旅に出たい。
その思いは、ずっとある。
中学の頃から。ずっと消えない。
中学生、高校生、大学生の頃は自転車で、走り回り、
22の時に原付の免許を取ってからは、ずっと、走っている。

でも、根っからの旅人ではないことも、自分ではわかっている。
アウトドアは苦手だし、人と触れ合うことも、得意ではないし、あまり好きでもないほうだ。

それでも、バイクで走りたい。
遠くへ行きたい。
知らない場所へ、初めての道へ、初めての空気に触れて、
初めての風景の中を駆け抜けてみたい。
そんな思いは、一度も消えることなく、ずっとある。

2021/4/12 ⒕:31

だから、僕のバイクはずっと、スプリンターではなかった。
旅の相棒として対等に渡り合っていけそうなヤツ。
そんな一台を、いつも求めていた。

ゆきかぜのリヤにサイドバッグを用意した。
今はサポートを付けていないので、まだ完成態ではない。
リヤのシートバッグも考えたい。

そのうち、サスペンションも更新しなくてはならなくなるかもしれない。

まだまだ未完成な「ゆきかぜ」旅仕様。

まだまだ未完成な僕自身の「旅仕様」。

今シーズンで一気に完成とはならないだろう。
少しずつ、一歩ずつ、旅しながら、走っていきたいのだ。

(春の歌 完)

4 件のコメント:

  1. 樹生さん、こんばんは。

    >遠くへ行きたい。
    >知らない場所へ、初めての道へ、初めての空気に触れて、
    >初めての風景の中を駆け抜けてみたい。

    自分の芯に在るもの、静かに秘めていること
    押し殺すでもなく、開放するでもなく
    いつも宿りながら
    だからこそかもですが
    いまは叶わなくても
    いつかのそれを目指しながら
    きっと今を走っているのかもですね
    自分は週末にだけ、ほんの少しですが
    樹生さんの抱いて来たその想い
    ほんのすこし、分かるような気がします

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    1. selenさん、こんにちは。
      もしも、人に定住型と移動型があるとしたら、私はたぶん、移動型なんだと思います。
      繰り返しがつらい。先が分かるとつまらない。
      居心地がよくても、同じ場所に長くいることに耐えられない。
      社会に馴染めない。
      十代の頃から、今まで、それはずっと消えずに、自分の中にあります。
      バイクでなければ、他の何かをしていたのかもしれないのですが、
      私は「走るのは楽しいよ」という人間ではなくて
      走らずにいられない人間なようです。

      でも、帰る場所があるからこそ、走りにも「行ける」わけで、
      根っからの「旅人」でもない。しいて言うなら
      「ノマド」だったり、「山人」だったりの、だいぶ薄まった末裔なのかもしれません。
      selenさん、ありがとうございます。

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  2. 洞爺から最短となると、中山峠越えですよね。昔の中山峠は砂利の上にクネクネ道で
    道幅も狭かった。ちょうど薄別温泉のところから左の山道に入って、現在の頂上近くに在るトンネル出口の左側に直結してました。
    道の両脇は鬱蒼とした森で、途中に地蔵尊が祀って在りました。実際クマと遭遇して、亡くなった道路作業員も居たらしいです。
    現在は非常に快適になりました。とは言えかなり老朽化してきましたね。
    バイクで峠を越えるのは何か嬉しい(笑)

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    1. いちさん、こんにちは。
      中山峠の旧道は走ったことがなく、初めて中山峠を越えたのは、秋田県の中学生だった頃、
      修学旅行のバスででした。
      道にもいろいろな歴史がありますね。
      旧道の情報、ありがとうございます。
      地形図などで見てみたいと思います。

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