冬の間に、昨年走って録りだめていた動画を見て、編集、YouTubeにUPしてみている。
何度やっても思うのは、動画とブログ=写真と文章とでは、記録の過程でも、表現の過程でも、そしてその結果も、全然違うということだ。
何度やっても思うのは、動画とブログ=写真と文章とでは、記録の過程でも、表現の過程でも、そしてその結果も、全然違うということだ。
【MOTOGUZZI V7】秋の美瑛へ5五稜の丘 ”ゆきかぜ”と僕と、ふたりきり。 "Goryo no Oka" Alone in a beautiful landscape.
ツーリングの時点から、走り方まで変わってしまう。
写真を撮って文章を後から書くブログの時には、とにかくいい景色があったら、安全を確認して即止まる。そして、場合によっては最初に「あっ」と思った場所までバイクをバックで押して行って、そこから写真を撮る。
写真を撮って文章を後から書くブログの時には、とにかくいい景色があったら、安全を確認して即止まる。そして、場合によっては最初に「あっ」と思った場所までバイクをバックで押して行って、そこから写真を撮る。
ツーリングの最中に考えることは、漠然と流していることが多い。たまにメモを取ることもあるが、自然に、漠然と流しておいて、後で写真を眺めながらツーリングシーンを思い出して文章に綴っていく方が、ツーリングも、文章も、比較的自然に近く流れるし、違和感がない感じだ。
しかしこれも、写真を撮って後から文章を書くという、2007年にブログを始めて以降に定着した走り方で、純粋なツーリングとはちょっと違っているだろう。
動画となると、逆にいい景色の時にヘルメットの中に流れる風景をライブ感覚でとらえたいために、停車が少なくなる。結果、写真を撮る枚数が減る。
動画を回している時には、基本、ヘルメットの中にマイクを仕込んで録音しているので、無言でライブの音を録るか、あえてしゃべるか、ということになる。
話すことを前もって考えていることはほとんどないし、前もって考えて行った時でも実際に走ると考えや感覚はその時の現実に感応して変わるので、あまり意味を持たない。
つまり、しゃべりのほとんどすべてがアドリブだ。
でも、本当に独り言ではなく、誰かに語り掛けること、第3者に分かりやすく話すように、やはり意識はしてしゃべることになる。
現在のところ、動画を回してのツーリングの方が、記録することに関して意識が大きく振られている。
それは、ツーリングの自由、ツーリングの解放、からすると、少し窮屈な側面だ。
しかし、誰に頼まれたわけでも、強制されたわけでもない。
ようするに自分の遊びなのだ。
そのこと自体を楽しんでいるなら、それでいいわけだ。
あとは、バイクツーリングという、自分にとってほぼ唯一の趣味と、写真や動画を録ることとをどのようにバランスさせ、どのように両立していくか、ということになるだろう。
今シーズンの後半から、カメラを三脚に立てての置き録りとアクションカムの映像を混ぜる編集をやってみているのだが、これをやるとさらにツーリングの中に「演出」が入る。
それを不自然ととらえるか、「演出」とは実はあらゆる行為について回るもので、それを意識化して表現しようとしているのだと前向きにとらえるか…。これによっても、今後のツーリングスタイルや、記録スタイル、そして発表、発信スタイルは変わっていくことになるだろう。
でも、この体験、この世界を、発信したい、表現したい。
2つの思いが、どちらも大切で切り捨てられないまま、併存している。
2022シーズンも試行錯誤しながら、そのバランスを探っていくことになりそうだ。
そのチャレンジは、還暦を今年迎える僕にとっても、なかなか楽しいものだし、もっと楽しくなっていったらいいなと、思っている。
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