2022年1月18日

美瑛の丘のクルージング。

 北海道のメジャーな観光地の一つになっている、美瑛の丘。
僕も何度も訪れているが、行くたびに、確かに、この風景は特別だと思う。

【MOTOGUZZI V7 作業用】For work, 秋の美瑛へ6 美瑛の丘巡り
"Biei Hills Cruising”. live Sounds only.

僕は天邪鬼なところがあるのと、人がたくさんいて混み合っているのが得意ではないので、
ツーリングでもあまりメジャーな観光地や、人気スポットへは立ち寄らないことが多い。
今回動画に挙げたのは、もろに人気の観光スポットなわけだが、それでも、「いいものはいい」というか、何か走っていても特別な感じがあったのだった。
ではそれは何か、――と言っても、うまく言葉にできない。あまり「絶景」とも言いたくないし、最高!という感じでもない。(もう若くないからか…。)
それで、今回の動画は、マイクの中では無言である。

美瑛の美しさは、息をのむくらいだ。
それは、自然の美しさとは、ちょっと違う。
自然のままなら、美瑛の丘はほとんど森林だった。
木を伐り、根を切り、掘り起こし、馬に鋤を引かせ、近年は大型トラクターで、開墾し、耕して農地にした。その結果の田園風景が、美瑛の風景だ。


本来、手つかずの自然は、美しいが、そこには人間を拒絶するような厳しさがある。
僕らが田園風景に安らぎを覚えるのは、人の手が入り、人と生き物(農作物)が共存しようとしている風景だからだし、自分達の命をつなぐ食糧を育てている風景だということを、理屈でなく感じるからだと、昔、どこかで読んだ気がする。

美瑛の丘がパッチワークになっているのは、連作障害を防ぐために、小麦、ジャガイモ、豆類、甜菜、トウモロコシなどを輪作しているから。
水田で育てる稲は連作障害を起こさない。だから一面、毎年同じ風景になる。
畑は、そうはいかないので、パッチワーク状になる。それが彩を与え、多様性を感じさせ、華やかさと安心感を与える。


また、僕らが知っている美瑛のイメージは、昭和45年頃から写真家の前田真三氏の写真によって知られたものだ。
そこから、1970年代に、ヨーロッパ的なこの風景のイメージがとても爽やかで美しいと、日産スカイライン(ケンとメリーのスカイライン)、たばこのセブンスター、マイルドセブンなどがTVCMやカタログ、パッケージ写真に使用し、一躍注目され、人気観光地になった。
やがて、親子の木、哲学の木など、新しい「名所」、「名物の木」も増え、さらに1980年代には葉祥明氏のイラストのイメージが美瑛の丘的だったことなどもあり、不動の人気を誇る観光地になっていった。


じつは、丘にパッチワークの畑がある風景なら、ここに限らず、北海道に数多くある。
それぞれがそれぞれに美しく、心華やかになり、また、心落ち着かせるものがある。
美瑛が特別なのは、遠景の山なのだ。


丘の東、はるかにそびえる、大雪山、十勝岳連峰。
北海道の屋根とも言える、2000m級の山々が、背景として見事に風景を支えている。


もともと、これらの丘も、この山々の火山噴火による火砕流や火山灰によって形成されたももの。もとは一つなのだ。

これらの山が、火砕流によって一気に地形を変え、そこにあったものすべてを呑み込んでしまう。
また、火砕流の跡の泥は、畑や田んぼにするのには、猛烈な苦労を強いる。
そうした災害をもたらす山。
しかし同時に、山に積もる多くの雪が、川となり、地下水脈となって、春、夏、秋と、絶えることなき豊かな水を、下の台地にもたらす。

遠景の山脈、そして丘と谷。畑と所々残された林。
それらが織りなす風景が、美瑛の丘の風景の特徴だ。


元々、樹が好きで、自分のペンネームにも樹の字を使う僕だから、美瑛の丘と、木の風景は、とても好きだ。

去年は2回訪れたが、今年はもっと季節ごとに訪れたいと思う。
どんなに観光地化していても、いいものはいい。美しいものはうつくしく、魅力的だ。

しかし、なお、
僕には少し複雑な思いがある。
無邪気に最高!絶景!と叫べない感じがある。
でも、そのことについては、また、いつか機会を改めて話そう。

今は、芽吹きの頃の美瑛の丘を訪ねることを、楽しみに、どこをどう回ろうかと、
あれこれ夢見ることにして。

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