2015年4月29日

春の羊蹄山を見に行こう。(4)

羊蹄山をぐるっと一周しながら、羊蹄山を眺める、一日。
比羅夫駅から国道5号線に出、少し南下してニセコ町の道の駅から左へ。道道66号線に入る。
南の裾を、東へ走る。

12:22 ニセコ町 道道66号線
また少し、山は表情を変える。
僕とゆきかぜは、冷たい風の中、暖かい陽射しの中を、快調に走る。

12:40 真狩村 道道66号線
真狩村に入った。
羊蹄山は、このあたりでは昔、マッカリヌプリと呼ばれた。
マッカリとは「後ろを回る川」という意味、「ヌプリ」が山。
「後ろを回る川のある山」というのが、アイヌ語のこの山の名前だ。

本来、羊蹄山は、「マチネシリ」、または「マッカリヌプリ」と呼ばれるべき山なのだろう。
正式には「後方羊蹄山」と地図にも載っていて、これで「しりべしやま」と読む。
「後方」で「しりべ」、「羊蹄」で「し」なのだそうだ。
だから、羊蹄山(ようていさん)という名は、本来の名前でもないし、正式な名前でもなく、まちがいから流布してしまった通称だ。

北海道のほとんどの地域は、古来、「国家」という概念とは違う考え方を持つアイヌの人たちが住んでいた。かれらはこの寒い地でそれでも豊かな自然の恵みを生かし、狩猟採集と船による北日本海貿易圏を持つ交易とで暮らしてきた。
日本もロシアもまだ近代国家として覇権を争う前、北日本海にはそうした交易文化圏があった。
主に明治以降、北海道は近代国家日本の植民地として「開発」される。

木は伐られ、本州へ。魚も加工し、本州へ、やがて石炭が出るとそれも本州へ。
北海道に入植した人々は故郷を懐かしみ、故郷の地名を新しく北海道の地につけた。
「広島」、「新十津川」、「秋田」、「鳥取」…、それは枚挙にいとまない。
そして本州以南を「内地」と呼び、北海道は内地ではないという認識を持っていた。

北海道の木は大部分が切られ、二次林に切り替わった。
石炭は石油へのエネルギー政策転換で廃れた。
道北には、核のゴミの最終処分場の予定地がある。地中深く原発の燃料ゴミを埋めるのだ。

「開拓」から150年。学校も120年を越える歴史のあるものもある。
アイヌの人たちが北海道の先住民族だと国が認めたのは、2008年の参院両院での国会決議に於いてだ。

今、北海道は国際的に観光地として名高い。
また、食品としても「北海道」「十勝」などはブランドである。
僕ら家族が北海道に移り住んだのは1999年。
僕らもまた、移住してきた人間だ。

山は、何万年もここにあって、その周りの風景は、おそらくいろいろと変わってきた。
特にこの150年間の変化は大きかっただろう。
原始の森は伐り開かれ、農地へと変わった。
鉄道が通り、道路が交通の中心となり、ニセコのスキー場は特に南半球のオーストラリアやニュージーランドでは大人気。
時差があまりなく、雪質は世界最高クラス。季節は真逆。夏休みに北海道にスキーに来れるのだ。
ニセコは国際観光、スキーの街になった。

道の駅では農作物の直売が大人気で、特にニセコの道の駅は大人気。
いつも車でいっぱいだ。

美しい空。
美しい風景。
美味しい野菜。
四季でまったく変わる表情。
気さくで親切な人々。

いろんな歴史を「一つの」ストーリに閉じ込めて、それ以外の解釈や言い方を許さないような風潮が広がりつつある。
各人が各人の歴史観をもっていい。でも、一つのストーリーだけですべてを語るのは不可能だ。
まして押し付けるのは、間違っている。

山は、マチネシリであり、マッカリヌプリであり、そしてここ最近150年ほどの間には、シリベシ山と呼ばれ、羊蹄山とも呼ばれるようになった。
蝦夷富士と呼ぶ人もいる。

形が富士山に似ているからだ。
僕は蝦夷富士と呼ぶことは好まない。
形は位置によってはとても似ているが、スケールが全然違う。富士山の大きさ、裾の風景など、羊蹄山と富士山は、僕にとっては全く似ていない。

でも。
大まかな形は似ているのだし、「蝦夷富士」と呼ぶことに目くじらを立てようとは思わない。
なんでも「なんとか富士」とか「なんとか銀座」とかいうのは、ちょっと恥ずかしいのと、ちょっと失礼だろうと思うだけだ。


12:48 真狩村  道の駅 真狩フラワーセンター
 真狩村の道の駅によってお昼にした。
道の駅の中にある食堂で、月見そば(700円)を食べた。

ほぼ真南から見る羊蹄山。
左側が少し膨らんで見えるこの形が、南北から見た時の特徴だ。
きっと地元の人たちは、自分の住んでいるところから見るこの山がいちばん美しいと思っていることだろう。

それでいいのだと思う。それでなくては。
数値やデータで何位だとか、抜いたとか抜かれたとか、そういうことで国や郷土は愛せない。
郷土愛は、そんな簡単に失われるもので成り立ってはいない。
うれしいこと、つらいこと、いろんなことがあり、いろんなことが積み重なっていく暮らしの中で、郷土愛は育っていく。

13:31 真狩村 道道66号線
道の駅 真狩フラワーセンターを後に、真狩村から留寿都(ルスツ)へ。
道道66号線を行く。

途中、なんてことない風景だが、ちょっと停まって写真を撮った。
なんだか羊蹄山が暮らしを見下ろしている、守っている、そんな感じがした。
羊蹄山には水によって削られたとみられる沢のような筋が何本もあるが、そこから川になるものは一本もない。
降った雨、解けた雪はすべて一度地下にもぐり、伏流水となって麓の泉から湧き出る。
年間を通して、大量に湧き出る名水。
それが、この山の大きな恵みの一つでもある。
このあたりも富士山と似ているところではある。

東側、喜茂別町についたら、さっき行けなかった、羊蹄CCの側の畑の中の道へ、反対側からアプローチしてみよう。
もう少し、この山を見ていたい。
(つづく)

2 件のコメント:

  1. 本稿最後の写真、素晴らしいですね。

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    1. shinさん、こんにちは。
      ありがとうございます。
      峪を跨ぎ、丘を越えていく道と民家と畑を山が見下ろしている、そんな感じがして、思わずUターンして戻ってきて撮りました。
      ここは南斜面なので羊蹄山の陰に入りにくく、陽当りがいいところです。
      美しい里だと思いました。

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