2019年9月3日

「 △ ◇ 〇 」(2) 脱兎のごとく

5月になった。
あのくだらない「赤い彗星」騒ぎは、ひと月ほどネットで騒がれ、一部TVのワイドショーが適当に取り上げたりもしたが、そのうち忘れられた。
2週間ほどは、都市伝説を面白がる輩が、あっちこっちでまた出ただの、首都高を巡回してただの、いや、○○市のファミレス前に止まってただの、やっていたが、飽きたのだろう。そのうち、上げる奴も少なくなり、動画の視聴回数も伸びなくなるとなると、急速に話題からも外れ、たまに動画が上がっても、誰も見向きもしなくなった。
「木内、ちょっといいか」
今日のちょっといいかは副編だ。これは、編集長よりやっかいな話が多い。
「はい。なんすか」
「お前、ウサギに興味あるか」

うさぎ?
「興味ないです。以上。」
「ちょっとまて、赤いウサギが、脱兎のごとく走ったとしたら」
「なんのことかわかりませんし、何の興味もありません。」
「そういうな。もう、何の話かわかっているんだろう」
「いえ、分かりません。彗星だろうが、ウサギだろうが、興味ないです。」
「へえ、じゃ、なんで5か月も前に一回しかお前に話してない赤い彗星の話が、今、お前の口から出てきたのかな?お前と俺との間の案件は、他に山ほどあるぞ」
確かに。四星のリコール隠し問題とか、ALVとオリオンの自動運転技術提携とか、まあいろいろ抱えているのは確かだ。だから、何だ?とは言えないし。
「……」
黙ってたら、副編がまたタブレットを出して来た。スマホより画面のデカいのがいいそうだ。
「これを見ろ」
「また、動画ですか。正月3日以降の赤い彗星の動画って、あれ全部、すべて偽物、ガセでしたよね」
「よく知ってるな。けど、この動画は、2019年8月、去年のだ。」
「去年?」
「場所は北海道」
「北海道?」
「これだ。」
かなり飛ばしているバイクの車載映像だ。北海道の自動車道らしい。車がいない。
やはり夜だ。
「こいつ、メータースマホで隠してるけど、200km以上は出してるよな」
「さあ……。でもこいつがどうしたんです?退屈なんですけど」
「この動画が退屈ね……。で、ちょっと待て。ここからこのバイクが加速する。ほら」
確かに、220kmは出ていると思われた画面から、バイクはさらに加速していく。
「単なる、最高速チャレンジ動画でしょ?バカがよく上げる奴ですよ」
「まあ、見ろ、もうすぐだ」
「………」
景色が殆ど流れ、夜の闇の中で狂気のスピードで走るバイクの切り裂くようなエンジンノイズが甲高く、気持ち悪く響いている。
「別に何が…」
「これだ!」
副編が指さす。画面の中央上にほんの小さく、豆粒より小さく赤い光が一つ見えたと思うと、どんどん近づく。そりゃそうだ。車載カメラを積んでるバイクが猛スピードで走っているんだ。
また、すれ違うかのように、追い越されていくようにも見えたその点は、近づいて大きくなったと思ったとたんに、あっという間に小さくなり、前方に遠ざかり、小さな点も見えなくなった。
「どうだ」
副編が僕の顔を覗き込む。
「いや、どうだと言われても」
「今近づいて、あっという間に遠ざかった赤い点は、バイクのテールライトだ。そうだろう」
「4輪のテールランプの片方が切れた可能性もありますが、あの揺れ方を見ると、バイクみたいですね。
「おそらく、このカメラ搭載のバイクと、前方のバイクには、200km以上の速度差があった。しかし、あっという間にこのバイクは加速し、車載バイクを引き離して消えていった。」
「まあ、映像に加工してなければ、そういうことになりますね」
「最高速が300km以上なことはいいとして、異常なのはその加速だ。そう思わないか」
「そうですか」
「まるで、ウサギが襲われて巣穴から飛び出していくみたいに。まるでゼロ加速だ。それを高速域でやる。とんでもないパワーの単車だぜ」
副編が僕をちらと見ながらいう。
しかたない。
「いえ、パワーだけだと、ホイルスピンして前に進まないし、フレームがパワーに負けると真っ直ぐ走りません。それに、トラクションコントロールでスピンを抑制しても、ウィーリーしてしまうので、パワーを絞らざるを得ません。パワーだけでは、だめですね」
「やはりそうか。ゼロスタートの加速では、ローンチコントロールを使えるが、この高速道路上からの全力加速でこんな加速をするとは、まるでカタパルトがあるようじゃないか。」
「カタパルトはありませんよ。」
「ふん……、そうさ、なあ、木内、教えてくれよ。カタパルトなしに、こんな高速でのさらなる脱兎の加速を可能にするには、何が必要なんだ?」
「副編集長、わかっててわざと訊いてるでしょう?」
「そんなことないさ。そうかなと思ってるが、木内の答えを聞いて、答え合わせをしたいのさ」
「趣味悪いですね」
「いいから。つまり、路面にしっかり押し付けて、グリップを確保しないと加速できないわけだろう」
「そうなりますか」
「だとすると、それができる市販マシンはない。」
「ないですね。」
「一つを除いてな」
「いえ、だめです」
「いや、そいつを改造すれば、可能なはずだ。」
「そうですかね。」
「木内」
「はい」
「正月に聞いた時、お前、自分なら、ハヤブサか、フォーティーンアールを選ぶと言ったな」
「そんなこと、いいましたっけ」
「通常なら、それが正解だ。だが、このケースの場合、そもそもが不可能、クレイジーなチャレンジで、かつ、実現するには、速度を落とすべきところは落とし、出すべきところでは迅速に最高速に持っていき、そこでの絶大な安定感を得なければならない。」
「まあ、そうですね」
「正月に、お前はハヤブサと、フォーティーンアールの名前を出した時、俺はすぐにお前がわざと一台、その候補から外して話したのがわかった」
「僕はそんなことしませんよ」
「その外したバイクが本命だ。そして、5ケ月、そいつを探し続けていたわけだ」
「ひまですね。」
「ひまだ。副編だからな」
「いつ寝てるんですか?」
「あらゆるチャンスを生かして、おらゆる機会に寝まくっている」
「化け物ですね」
「お前ほどではないがな」
「失礼ですね」
「失礼な男さ、おれは。車雑誌の副編だからな」
「……。」
「時速100kmから340km以上まで、一瞬で加速する、常識はずれのパワー。そのパワーを逃がさず、路面に伝えるために、車体を上から路面に押し付ける空力性能、その荷重を受け止める車体、タイヤ。急減速の繰り返しに耐え、速度を瞬時に殺すブレーキシステム。変化する空力による荷重に反応して特性を変える、アクティブサスペンション。それらが揃って、初めて、このバカげたチャレンジの可能性が開くんだ」
「……。いえ、全然開きませんね。」
「ふん、開かないか」
「そう、開きません。少なくとも2つ足りない」
「そうさ、空力性能を状況に合わせ、変化させて最適なダウンフォースを常に与える、可変、可動ウィングシステム付カウリング。そして」
「そして?」
「そんな化け物マシンを操ることのできる、化け物級のライダー。この二つが足りない。そうだろ」
「そうなんですか」
「木内」
「はい」
「明日から、北海道に出張だ。お前と俺と、二人で行く」
「そうですか」
「何を探しに行くか、分かってるな」
「まあ」
「言えよ」
「外れたらカッコ悪いですから」
「外れたら、出張は免除してやる」
「なんですか、それ、当てるメリットがない」
「言えよ。木内」
「やれやれ。」
「言わないのか」
「言いますよ。カワサキ、ニンジャH2R改」
「正解だ」
(つづく)

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