「木内、ちょっとといいか」
編集長のちょっといいかは、やっかいごとの始まりだ。
「ハイ。なんすか?」
「お前、バイク詳しかったな」
「いや、詳しいというほどでもないですけど」
「赤い彗星、聞いたか?」
「は?」
「赤い彗星の話は、お前の所へ届いているか」
「…あの、ガンダムとか、興味ないんで」
「そうじゃない、じゃ、聞いてないんだな」
口をはさんだのは副編だ。
「……何の話ですか」
「今、ネットのごく一部で騒然となってる。1月1日の深夜から2日早朝にかけて、赤い彗星が出たんじゃないかってな。」
「…バイクと何か関係あるんですか?僕はアニメとか、明るくないですし、他の人に…」
「まあ聞け。2020年、年が明けて、1日の夜、東北高速道上り線を猛スピードで走る赤いバイクを見たという話が出て、動画も出てる。これだ。」
副編のタブレットに短い動画が出て、高速道を普通に走ってる車の車載映像だと思ったら、右からブンッっと、一瞬で、まるで倍速ですれ違ったみたいに追い越して前方に消えていく物体が映った。その後、スロー再生パートが流れたが、暗いし、映像が流れていて、よくわからない、しかし、確かにバイクのようだった。
「まあ、バイクみたいですけど、暗いし、ブレてて色も分かりませんね。赤いと断定はできないと思うし、でも、こんな狂ったように飛ばす奴って、たまにいるでしょ。」
「まあな。その3時間後、中央道下り線でも、猛スピードのバイクを見たって動画が上がった。」
「そうですか。」
「やはり、赤いバイクだったと言ってる。」
「でも映像ではよくわからない…でしょ。」
「そうだ。」
「便乗してあげる奴ってよくいますよ。」
「1時間後、名神での動画は、4本上がった。」
「何でもかんでも撮ったんでしょ。で、前のにつられて上げた。よくある話です」
「それから1時間半後、山陽自動車道で同じような映像だ」
「はあ」
「さらに2時間後、九州自動車道でも赤い猛スピードバイクの動画が出た」
「で、もしかして、それらは全部同じバイクで、一晩で青森から鹿児島まで縦断したとか、そういう変な都市伝説的な話になってるとか?」
「その通りだ」
「ばかばかしい」
「ばかばかしいか」
「ばかばかしいですよ。ネットでたまたま面白そうなネタがあがると、すぐに便乗してあることないことたくさん出る。殆どガセだ。まして、赤い彗星とか、もう完全にネタじゃないですか。」
「2,000km余り。一晩はあり得ないか。」
「それを答えるのは、僕の仕事じゃありません。」
「木内、お前、そういう言い方するから誤解されるんだ。そのことには責任ある回答はできないと言いたいんだろう」
副編がやれやれと言った顔で僕の肩をポンと叩きながら言う。
「……ええ、まあ、そういえば、そうなりますけど…。」
「どういうことだ」
むっとしかけた編集長が気を取り直したように訊いてきた。
しかたない、説明するか。
「バイクでも最高速時速300km出るようなヤツは普通に市販されています。もし、時速300kmなら7時間で2,100km行くわけですから、一晩での走破は可能になりますが、もちろん、そんなものは机上の空論にもならない、空想です。人間の要素を無視しても、バイクは給油しなければならないし、日本の高速道路で300km出せるところは、法律が全くないとしても、非常に限られる。平均で200kmなら、10時間で2,000kmとなるにしても、混雑する道路状況や、まして操縦する人間の能力を考えても、常識的には絶対に不可能と言えます。第一、警察の網にかからないわけがない、ネットだけで騒然というのは、ガセの証拠です」
「それなのに、あり得ないとお前が断言しないで、答えられないというのはどうしてだ?」
副編が口を挟む。
「僕は答えられないとは言ってません。僕の仕事じゃないと言ったんです。」
「だから、お前の場合、それは自分にはその能力がないと自分を卑下した言い方なんだ。めんどくさい奴なんだからよ。で、木内ができるかもしれないと思うその可能性はどんな場合なんだ?」
「できるかもしれないとまでは思いませんが、可能性を考慮せずにできないと断言するのは責任ある言い方ではないし、おろかだと思うのです。」
「ああ、わかった。で、どういう可能性が残っていると思う?」
「これはもう、ほら話というか、ガセに踊らされたアホ話になりますよ。」
「いいから、それを話してくれ」
「……。例えば、市販されている大型スポーツバイク、そのうちでも高速巡行を得意とするバイクのエンジン、車体を高速道路での連続走行に思い切り振ってチューンし、ガソリンタンクをビッグタンクにする。」
「うむ」
「警察の網にかからないためには、オービス、道路情報のカメラなどの位置をあらかじめ調べ上げ、その付近のみ速度を落とし、また、首都圏では目立たないようにスロー走行し」
「うん」
「それ以外のところでは平均で時速250km程度、最高速で300kmくらい出して、給油時以外止まらずに走ることが条件ですね。でも人間が持たない。集中力も、持久力も。トイレにだって行きたくなる。人間のエネルギー補給もしなくてはならない」
「もしも給油ポイントまであらかじめ全部決めていて、あらかじめガソリンスタンドに先行隊が待っていて、給油毎に毎回ライダーチェンジしたら」
副編がまた口を挟む。
「それでも、高速道路上を全線通行止めにして単独で走行したとしても間に合うかどうか、わからないでしょう。まして交通量がおかしい日本の高速道ではほぼ無理と言えます」
「それで、一年で最も高速道の空く、1月1日の深夜を決行日に選んだとしたら」
「………。わかりました。…もし、僕なら」
しかたがない。だいたい、副編はいつもしつこい。
「僕なら、そういう話題で世間を騒がせるのが狙いなら、同じ色、同じ車種のライダーにネットで呼びかけて、あたかも一台のバイクが一晩で東北から九州まで縦断したかのように見せるために、それぞれ走る時間帯を示し合わせて、目立つところで一瞬猛スピードで走り、すぐにP.A.に入って時間をおいてからゆっくり最寄りのインターから下りるというのをしますね。時間差で、別の個体が一台で走ったかのように、見せるわけです。これなら、他人を事故に巻き込む可能性も、比較すれば低い。ネットで騒がれた挙句に雑誌まで動き出したと知れば、実際に記事にならなくても笑いが止まらないでしょう」
「なるほど…」
と言ったのは編集長の方だった。
「ゼンさん、どう思う?」
「私ですか…」
副編が何か含みのある表情をする。
「もしも、木内君が言った通りなら、そういう奴は実は俺たちがやったんだというネタ晴らしを誰かがしてしまうものだと思いますね。今日で5日経っている。これだけネットで騒がれているのに、そういう動きが全くないというのは……」
編集長が副編の顔をしげしげと見ている。
「どう思うんだ?」
「木内君が最初に言ったように、偶然に出来上がったガセが連鎖しての都市伝説的なものか…」
そこで副編はちらっと私を見た。
「一人、ないしはほんの限られた数人のしでかした、クレイジーな縦断の可能性もあるかと思います。」
……。
ん?話はそれで終わり?
副編、何が言いたい。
「いずれにしても…」
あ、話終わってなかったのか。
「ネットで騒動になっているから取り上げるというのは、うちらしくない。動かない方が賢明だと思います。ただの噂でしかないわけですし。しかし、この一件、私に預けてもらえませんか」
「ゼンさんがそういうなら、いいよ。ゼンさん、この件は預ける。木内君、時間とってすまなかった。」
おや、編集長まで急に僕に「君」付けとは。
…それにしても、「赤い彗星」ねえ…。
現実味がないものを、「リアルな設定」なんて思いこむ奴が、変な噂に踊らされて付けそうなあだ名だ。
かえってそのオリジナルのアニメに失礼だろうに。
仕事終わりに、副編が僕に寄って来た。
「木内」
「ああ、直接呼ぶ時は君なしなんですね」
「まあな、そんなことより、今朝の話だが、お前なら車種、何を選ぶ」
「国産からドイツ車、イタリア車まで、各国のメーカーのフラッグシップを選べば、同じようなものだと思いますが。」
「そうかもしれないが、木内だったら何を選ぶかに興味があるんだ。」
「なんですか、それ」
「いいから、教えてくれよ。」
「そうですね。僕なら……」
僕なら?
「ハヤブサか、フォーティーンアール」ですね。
(つづく)
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