2015年9月3日

夏の終わり(3)


平取町の義経神社についたのは、ちょうどお昼、12時だった。





この神社には、クリの大木がある。
この樹も、以前訪れたことがある。やはり8年ぶりの訪問だ。


北海道には結構義経伝説が多い。
これは、江戸期、または明治期に北海道(当時は日本からは蝦夷地と呼ばれていた。先住民族のアイヌ民族はこの地を「アイヌモシリ」=人の暮らす静かな大地=と呼んだ。)へ渡ってきた日本人が、日本的なものにこの地をつなげようと創作したものだという説がある。

たぶん、そんなところだと思う。

義経伝説の多くはアイヌの人々が義経を歓迎し、慕い、尊敬した、とあり、「開拓期」に後から入った日本人たちが、アイヌの人々が先祖から日本人を慕い従っていた、とする心理効果を持たせようとしたのだ、とも言われている。

それも、そんなところだと思う。

日本人の義経好きは、折り紙つきだからだ。



ここは義経神社、神社は街から丘を急な石段で登ったところにある。
その空気は森林のおかげか、清新な感じがして、気持ちがいい。

伝説がどうであれ、神社はとてもいい場所に建てられており、大きな樹が周りを囲って、神社としての風格を持っている。


義経神社は、競走馬の産地である日高地方にあって、馬の神社としても有名だ。



今日は8月15日。
夏の祭りがおこなわれる。

本殿はきれいに飾り付けられていた。


  本殿脇には、常盤御前(義経の母)と静御前(義経の恋人)の墓が。

いくらなんでも、それはやりすぎだと思うのだが、まあ、記念碑として考え、祭る、という精神なのだろう。



 義経神社の森は(神社の場合「杜(もり)」と書くのだが)、美しく、木々も大切にされ、下草の手入れも行き届いていた。
ゆえんがどうであれ、義経神社は、ずっと神社を守り、杜を守り、手入れし続けている丁寧な人の手が絶えることなく、続いているのだ。

それだけでも、尊いというべきだろう。


 神社の裏手の丘も美しく管理され、杜を守り育てようとする人の息吹が感じられた。

このほかにも、「義経公園」などもきれいに整備され、町民のいこいの場所をきちんと作ろうとしていることが肌で感じられた。

天気予報ではこの日高地方でお昼ごろに雨が強いはずだったのだが、まだ落ちて来ない。
時々雲の切れ間から暑い日差しも差してきた。

そろそろ午後1時。
昼飯にありつけていないままだが、祭りで混み合う街中では、どうも昼食を摂る気になれなかった。
コンビニへ寄る気力もない。

どうも、疲れが抜けず、気持ちも素直になれていないようだ。

今日はもう、あきらめて帰ろう。
こんな日もある。

道道を走りつないで厚真方向へ、また帰ることにした。




途中、牧場で足を止めた。
競走馬が立っていた。

美しい。

品種改良され、人一人を乗せて速く走ることに専念する、競走馬。
夏の、牧場で何を思うのだろう。

海のそばを、国道にでないように道道やよく分からない道をつないで走って行く。

再び安平町へ。

雲は薄く、これは降られないまま行けるか…と思った頃、突然視界が白く変わるような、滝のような雨に見舞われた。
(つづく)


2 件のコメント:

  1. 平取まで来ましたね。ここは二風谷アイヌコタンがあったような。
    ダムの下に沈んだ村の代りって、何だろうな?ここにダムは必要だったのだろうか?
    義経神社って結構な大きさですね!このあたりって中々通らないのですよ。
    北に上がれば穂別・占冠・日高なんですが、通過してしまうことが多くて
    じっくり走ってみれば、いいところなんですね!
    和牛の店が有るとのことで、一度賞味してみたい所でもあるんですよ(笑)

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    1. いちさんこんにちは。
      二風谷のダムは、計画段階からその必要性には疑義があり、ずっと物議を醸していたダムです。
      むろん、賛否両論があって、結局建築計画が推進され、ダムは作られたのですけれども。
      ダムの是非はここで語るにはあまりに紙幅がなさすぎますのでこれ以上はやめておきます。

      昔、国道274が樹海ロードとして開通していなった昭和の頃、十勝に行くために必ずここを通って
      日勝峠に向かったことを思い出します。

      僕は一度、このあたりで激しい雨の中、ハイドロプレーンで転倒したことがありました。
      若く、未熟な時のことです。
      怪我もなく、走行を続けられたのは運が良かっただけなんだと、その時も思いましたが、
      29年経って今、改めて思います、

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