2020年5月9日

桜とバイクのストーリー。「センセイとブルターレ」第1回


北海道の桜前線も、根室まで到達し、日本の桜の季節も、もう終わろうとしています。
でも、本州でも山里や、山の中の一本桜などは、まだ花を点けている時期かもしれません。
2014/5/4 札幌市南区

今回はまた、以前のブログで書いたストーリーから連載で紹介いたします。
桜とバイクのストーリー、「センセイとブルターレ」、第1回。どうぞ。


センセイとブルターレ(第1回)


佐崎がブルターレを初めて見たのは、離婚調停の為に訪れた妻の実家のある、厚木の街のバイクショップだった。

 一人娘も結婚し、去年、佐崎も定年を迎えた。そしてその日、妻から離婚を請求された。何となく、予感はあった。だから驚くこともなかった。ただ、そうか、そうなるのか…と不思議な感慨があっただけだった。

 高校の古典の教員として38年間。同年代の教員が管理職になったり、組合活動に必死になったり、部活動の指導に家庭を顧みずに没入したりするなか、佐崎にはこれといった出来事は何もなく、ただ、淡々と毎年古典を教えてきた。生徒に感謝もされず、かといって授業が崩壊することもなかった。古典文法はもうすっかり佐崎の脳と一体化している。しかし、実を言うと、どの古典作品も教材として教えただけで、一つとして通して読んだことはなかった。それでも、文法解説と文学史が体に染みついていれば、進学指導には特に事欠かなかった。佐崎の教師生活は、古典文法のように変わることなく繰り返され、佐崎の足元から過去へと毎年同じペースで流れ去って行った。

 定年になったとき、特に感慨もなく、老後の生活に、特別な希望もなかった。平凡に、平和に、妻と仲良く暮らしていければ、それでよかった。
 しかし、その展望は、彼ひとりのものだったらしい。好きでもない退職パーティーに付き合いだからと我慢して参加し、杯を断れないままに飲みすぎて道で3回嘔吐して帰った玄関先で、妻はお帰りなさいの後に、私にも自由をくださいと言って頭を下げたのだった。

 離婚調停はこんなにスムーズでいいのかと思うほど、順調に、あっけなく進んだ。しっかり者で良心的な妻は、ちゃんと退職金まで含めた二人の財産を計算していて、きっちり平等になるように分けていたし、佐崎にも、もしも別れることがもう止められないなら、あとは妻の好きにさせてやりたい気持ちもあった。
 私立の進学校の高校教員といってもそれほどたくさんの退職金があるわけではない。が、もともと佐崎は金のかかる趣味もなかったし、妻も浪費家ではなかったので、貯金はまあまああったし、二人で分けても当面困らないだけの取り分は、それぞれにあった。

 妻は神奈川県厚木の実家に戻り、佐崎は勤め先があった広島に、とりあえずは残ることになった。部屋を引き払うのは佐崎が担当し、妻は自分の荷物を実家に先に送った。

 妻が旅立つ日、佐崎は厚木の実家まで送っていった。実家には、九十になる妻の母と、妻の姉が二人で暮らしていた。
 妻の母と姉に挨拶をすませ、晴れやかな顔の妻に今までの夫婦生活への感謝の意を伝え、妻の実家を後にした。
 
 行きは妻の旅行鞄や実家への土産などがあったのでバスに乗ったが、帰りは街中を歩いて駅まで行くことにした。どうせ帰りの切符も買っていない。何時に駅に着いたって、別にいいのだった。妻の実家に来たのはもう10回ほどだろうか。もう、来ることもないのだなあと思いながら歩いていると、ふいに左からフォーン!と大きな音がした。

 驚いて見ると、そこはバイクショップらしかった。しかし、それは、佐崎のイメージにあるバイク屋とはかなり違っていた。至極きれいな倉庫のような造りの建物で、通りに面した前面はガラス張り。中にはきれいな色のバイクがずらっと並んでいた。
 一角が接客スペースなのだろうか、おしゃれなカウンターに椅子が並べられ、中は明るく、紅い内壁が目に鮮やかだった。

 民家の一階に汚れたコンクリの土間があり、そこに何台かのバイクがぎちぎちに並べられ、通りにはみ出した作業スペースで汚れたつなぎの主人が不機嫌そうにスパナを握っている…。
 …それが佐崎のイメージするバイク屋なのだが、ここは全く違っていた。

 これがバイク屋?
 佐崎はバイクの免許は持っている。苦学生だった高校時代に、将来のためと思って2輪の免許を取った。それは今でも有効だ。独身の頃は車も必要ないし、ただ、アルバイトで配達をやった時にバイクに乗っていたのと、就職してから、家庭訪問をするのにと、CD125を持っていた。妻と結婚した後も、CD125でよく呉や廿日市の海まで二人乗り走って行ったものだった。娘が生まれてからは、軽自動車にして、その後、もう28年間、バイクには乗っていない。

 フォーンという音は、店の前に置かれたバイクから聞こえてきたようだ。聞いたことのないような、角笛のような音だった。いつもは騒音はとても苦手で、耳をふさぎたくなるのに、その時はなぜかその大きな角笛のような音が好ましく聞こえたのだった。
「ふうん、バイク屋さんか…。」
 佐崎は急に、ふらりと入ってみたくなったのだった。(続く)

2 件のコメント:

  1. 返信
    1. HiroshiMutoさん、こんにちは。
      以前のものを焼きまわしするという、
      あまり褒められたものでない掲載の仕方になりましたが、
      桜の季節、走れない季節、
      自分でももうもう一回、読み直してみたいと思いまして、
      ストーリーシリーズ、掲載しています。
      好きといっていただいて、とてもうれしいです。

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