2020年5月19日

1980年代のバイクテイストをどうぞ。『先輩の教え「速く走れ」』


今も僕の中に生きている、「ライダー気質」。
1980年代は、まだ、それがリアリティを持って語られ、存在感があった時代でした。
もちろん当時もそれはメジャーな感じではなかったのですが、確かに、在った。
それを、忘れたくない思いが、2020年代に入った今日でも、僕の中で息づいています。
くどい話ですが、先輩の教え「速く走れ」です。



先輩の教えその3 「速く走れ」

僕がバイクに乗り出した頃、国産の250cc、400ccは年々性能がUP、ホンダがVT250を出し、カワサキはZ400FXかZ400GP、スズキもGSXを出す頃。バイク雑誌には毎月ニューモデルの谷田部テストのデータが踊り、僕らは最高速やゼロヨンのタイムに興奮していました。

しかし、Y先輩のバイクはスズキの400ツイン。Y先輩なら限定解除も簡単なのでは…と思いましたが、別にとろうともせず、マシンを乗り換える雰囲気もありません。

先輩に聞いてみました。
(Yさんは、最高速とか、ゼロヨンとか、興味ないんですか?)
「いや、あるよ。マシンの性能UPには胸が躍る。今度スズキからとんでもないマシンが出るらしい」
…それは、国産初のレーサーレプリカ、RG250Γ(ガンマ)のことでしたが…。
(先輩どうして限定解除したり、新しくて速いバイクに乗り換えたりしないんですか?)
「金がない(笑)」

それは本当でした。
僕だってバイク欲しくて金がなく、バイトして、風呂代を浮かすために公園で夜に体洗ったりしてた(ごく短期間でやめましたけど)くらいで、みんな金なかったんですが、それでも先輩が乗り換えないのは何か他に理由がありそうで、僕は何となくその答えは不満でした。

「樹生君。高速道路で、すごく空いてるなら、時速100㎞でも150㎞でも、180㎞でも、実はさほど変わらない。
でも、路面に凸凹がいっぱいあって、くねり、左右に次々に違う環境が来る一般道では、100㎞と120㎞は、同じ道でも別世界になる。」
「バイクで出していい速度は、ライダーとマシンとの組み合わせ、ライダーのマシンへの理解度、特にブレーキング時の車体制御技術によるんだ。」
「バイクが機械として出せる速度と、ライダーが自分の命を乗せて出していい速度とは、別物なんだよ。少なくとも、その速度からフロントブレーキをロックさせてもコントロールできる速さまでしか僕は出すべきでないと思う。」

僕は驚きました。先輩、フロントロックのコントロールできるんですか!?
今度はY先輩が驚きました。「樹生君はできないのか!?練習してないのか!?」
僕は言葉に詰まりました。
「いや、責めてるわけじゃない。練習してるのかと思っていたから、ちょっと驚いたんだ。」

「危険回避に大切なのはパニックにならないこと。
パニックになるともっとブレーキかけられるのに、方向転換してかわせるのに、突っ込んでしまう。または転んでしまう。転ぶとそのあとはまっすぐしか進めないからね。反対車線に滑っていって轢かれることだってある。
パニックにならないためには、その速度、その道路状況で起こりうるいろんなことをあらかじめある程度知っているか、イメージできていることが必要なんだよ。」
「少なくとも、その速度から最大限の減速はできるように用意できてないと、その速度は危ない。時速何㎞とかはほとんど関係ない。」

Y先輩は一度、広島県では走り屋のメッカとも言われている峠の頂上の広い広い駐車場で、そのコントロールを見せてくれました。

初めは直線で速度を上げて、両輪のブレーキを強くかけ、普通に止まる。
次は同じように加速後、両輪をかけておいてリヤをロックさせたまま停止まで行く。
「これはあんまり意味がない。リヤをロックさせると、直進状態を保てないとリヤが左右にふれる。これを無視できるときはいいんだけど、路面のうねりが大きいと振られすぎてブレーキを緩めて立て直さなければならなくなる。」
「フルブレーキだと僕のバイクでもほとんどフロントに荷重は移ってるけれど、、リヤから先にかけたほうが姿勢も安定するし、制動距離も若干短い。」
「デリケートなコントロールはフロントに任せて、リヤはロックしてもしなくてもとりあえずブレーキペダルを踏んでおくのが僕のやり方。バイクによっても変わるはずだよ。」

次は、加速から両輪をかけ、フロントをロック。一瞬緩めてまた強めてロック。3~5回くらいそれを繰り返して停止。
これは言ってみれば人間ABS(アンチロック・ブレーキ・システム)です。

「もし、直立していれば、フロントがロックしてもすぐには転ばない。しかし、フロントが少しでも左右に切れ込むとすぐに転倒する。だからロックまで持ち込む強いブレーキングは、かならず直進時にすること。」
「一瞬ロックしたら、反射的に少しだけ緩めてグリップを復活させる。と同時に少し強める。これをオーバーにやるとフロントフォークが大きく動いてタイヤのグリップを落としてしまうし姿勢も乱れて強いブレーキができなくなるから、できるだけ幅を小さくするように。」
「このコントロールの為にはブレーキを鷲掴みでぐわっとかけてはだめ。
握りこんだら、いつでも緩められるように、構えておくこと。」
「体をステップとニーグリップで完全に押さえ込まないとこのコントロールはできないよ。上半身からはいつも力を抜いて。」

速度は60㎞/hくらいからだったでしょうか。
「初めは広いこんな場所で、30㎞/hくらいから始めるといいよ。」
「30㎞/hと40㎞/hでは全然違うし、50㎞/hと60㎞/hも全然違う。起きてることは30㎞/hでも100㎞/hでも同じなんだけど、働く慣性が違うから、全く違うように感じるんだ。だから、その速度でのブレーキングに慣れていないと、とっさにすることは難しいと思う。」

自動車学校での教官をされている方や、ジムカーナをしている方からすれば、この時の先輩の行動や、説明は、別に大したことではないのでしょう。
しかし、若かった私にとっては、かなりの衝撃力がありました。

「バイクに乗ってて、転ぶと分かっても、ぶつかると分かっても、その瞬間まで最大の努力はしなければならないんだよ。
 転ぶにしても、場合によってはリヤをロックさせてしまって、リヤからスリップダウンするようにした方が比較的安全な場合もあるだろうし、とにかく当たる瞬間までブレーキで少しでも速度を落としたほうがいい場合もあるだろうね。」

「樹生君、技術はあったほうがいいけれど、バイクに乗る上ではほんの一部に過ぎない。高い技術で天狗になって油断してる奴より、下手くそだと自覚してる奴の方が安全だし、その方が「速い」んだ。」

速い?その方が?

「危ないのは勘違いさ。自分にできないことをできると思い込んだり、危険を見ないで上手いと思い込んだり、逆に、法定速度以内で走ってれば安全で、自分は交通法規を守っているから安全な正しい運転をしていると思い込んだり。」

「僕も自分にどこまでできるか分からない。毎日、常に気を張り詰めて乗っていられるわけでもない。それに他人には他人のやり方があるから、別に僕の貧しいやり方を押し付けようとは思わない。」

「相対的に自分ができることが多いからって、自分よりできることが少ない人を見下す奴は、ライダーじゃない。そいつは自分の現実と闘っていない。」

(僕、練習不足でした。練習します、今日から。)

「樹生君。バイクは自転車に乗れれば走らせることができる。技術はいろいろあるし、上達にはきりがない。技術はほんの一部でしかなくて、技術だけじゃ、自分も他人も守れない。下手でも、自分と他人を守りながらバイクを楽しむことができる。これはとても大事なことだよ。」

先輩の言葉は当時の僕には分かるような、分からないような言葉でした。

(でもYさん、どうしたら先輩みたいなライダーになれるんですか?)

Y先輩はやれやれという顔をしました。
「僕みたいになっちゃだめだよ。君は君になるんだろう?」

(いや、そうなんですけど…。参考にするだけです。先輩はどうやって技術を磨いたり、考えを磨いたりしたんですか?)

Y先輩は困ったように笑っていましたが、やがて、誤解して欲しくないんだけどね…、と前置きして言いました。

「自分と他人とを守れるように。バイクで死なない、バイクで人を殺さない。それを胸に刻んで…」
(…刻んで?)
「…走れ。」
(…え?)
「走れ。そして、速く走れ。人にはすすめないけど、僕はそうしているよ。」

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