2020年5月13日

桜とバイクのストーリー「センセイとブルターレ」第5回

2016/5/1
「センセイとブルターレ」第5回

 中国地方の山の中の細道を、佐崎はブルターレで駆けていた。

 春の息吹は山々に満ち、木々は若芽を広げ、周囲には陽の光で温められた土の匂いが香り、雑草の若葉も、今はすべてが柔らかく、生き生きとして、生命力に満ちていた。
 1車線の細い道は簡易舗装がされただけで、時折穴があいていたり、水たまりがあったりして、ブルターレは自分の上げた水しぶきで、かなり汚れていた。
 それでも、春の息吹の中で、佐崎は、28年ぶりのツーリングを楽しんでいた。速度はごく遅く、バンク角はとても浅い。エンジン回転も3000回転以下だ。しかし、ブルターレは正確にステアし、サスペンションは悪い路面でもタイヤを路面に接地し続けていた。
 春の光が、覆いかぶさった木々の枝の間からブルターレと佐崎に注いでいた。もう少し遅かったら、木々の葉がこの道を日陰にしたことだろう。


 この道を通るのは、久しぶりだ。
 バイパスができ、そのバイパスをさらにバイパスする片側2車線の道路ができ、この旧道はほとんど交通量がなくなった。それでも閉鎖されずに管理維持されているのは、この谷を越えたところに、小さな集落があるからだ。
 以前訪れたときは、小さな集落の家々に立派な 鯉のぼりが立てられ、誇らしげに風に吹かれていた。今はどうだろうか。
 路面のできるだけいいところを選んで、佐崎はゆっくりとブルターレを走らせた。右へ左へのつづら折りの道は、次第に高度を上げながら山の斜面を登って行った。「教習所のS字とクランクを延々走ってるみたいだ…。」と佐崎は思った。だったらそれは得意分野だ。いつまでも走っていられる気がしたが、それでも緊張していることには変わりなく、少しずつ疲れが溜まってきていることを、佐崎は感じていた。

 少し行くと道は右に大きくカーブし、山の尾根の線を一つまたいだ。
 深い渓谷はここで少し浅く、ゆるくなり、手のひらで受けたような形の小さな盆地になっていた。
 小さな棚田と段々畑の中を1車線の細い路が折り返しながら登って行き、その中間に民家が固まって建っているところがあった。あの集落だ。 
 小さな集落は、さらに小さくなったようだった。鯉のぼりは空に泳がず、どうやら廃屋となった家がいくつも見受けられた。棚田と畑も半分くらいは休耕地になっているようだった。
 
 時は流れたなあ…。
 
 佐崎は思った。以前訪ねたときは自分も20代だった。歳を取った以外、自分がそう変わったとは思えないが、あのときには後ろに妻が…、いや、元妻が、結婚前の元妻が乗っていた。お弁当を作ってくれ、二人で初めてのバイクでの遠出だったのだった。

 時は流れた。

 自分は還暦を過ぎ、娘は嫁に行き、妻とは別れ、また一人になった。
 美しかった集落は、ほとんどが廃屋となり、しかし、何軒かはまだ残って、ここで暮らしているようだ。おそらくはわたしよりもずっと高齢の方が住んでいるのだろう。鯉のぼりは泳がず、春の陽に草々の青い匂いが通っていた。

 佐崎とブルターレは、ゆっくりと集落の中を抜け、盆地を通過していった。
 雄々しいブルターレの排気音が、ここでは少し遠慮気味に響いていた。
 
 やがて道は盆地の斜面を登り切り、また林の中のつづら折になった。
 しかし、そのつづら折はすぐに終わり、切通しの丘を越えて道は再び大きく右に曲がった。
 すると、そこは広い平野だった。広島によくある片峠だ。急に開けた風景に、佐崎もやはりほっとした。
 広いと言っても、両側にはなだらかな斜面と山が続いており、その間に低い広い谷が、向こうへと下って行っていた。
まっすぐな道になり、佐崎は少し速度を上げた。
ブルターレは、つぶつぶとつぶやくような音のまま、速度を上げ、滑るように走った。時折現れる曲がり角やカーブでは、減速して少しためてからブレ―キを離すとともに緩やかにバイクを倒し、ブルターレの行きたがるままにくるっと旋回するとアクセルを開けて立ち上がった。低回転で、タイミングを合わせてじわあっと開けていくと、ブルターレはそそくさと、走った。
 「そそくさだなあ…」
 佐崎は苦笑いした。それもブルターレのやさしさか。君はもっと、スマートに生き生きと走りたいんだろう。佐崎は思った。

 広い谷はやがてもっと広い盆地へと入って行き、道も幹線道路と合流した。
 佐崎とブルターレは、順調に流れに乗り、しばらく走った。

 幹線道路に出ると、時折車や、追い越していくバイクからの視線を感じるようになった。悪い気分ではないが、あまりいいものでもない。第一自分はこのブルターレには似合っていない。佐崎は、少し後ろめたいような気持ちになりながら、ブルターレを走らせた。

 道はやがて内陸の街に入った。佐崎は市街地を避け、バイパス道からさらに外側に幹線道を外れ、再び田舎道を走った。今度の道は2車線で路面もよく、しかし田舎なので交通量もなく、ブルターレで飛ばすには絶好の道だった。
 佐崎は、少しだけペースを上げ、ブルターレに少し伸びをさせてやることにした。

 難しい。
 この子と付き合うのは、なかなか難しいぞ。

 佐崎は胸の中で独り言を繰り返していた。
 とてもやさしく、色っぽく、従順に言うことを聞いたかと思うと、急にそっぽを向かれた気持ちになったりもする。自分の操作次第で、このバイクは表情を変える。しかし、気まぐれではない。正しい扱いをすれば、正確にそれに応え、嫌がることをすれば、無遠慮に、これも正確に、嫌がるそぶりを見せた。今までのKLXやERは、本当に受けの広いバイクだったんだなあ…。あのダルな特性が、いや、決してダルではなかったのだが…、懐かしくさえ思い出された。
 それでも、同時に佐崎はこのブルターレの運転に夢中で取り組んでいる自分を見出していた。もう六一歳だというのに。なんだか大人げないウキウキ感が、少しずつ胸の奥から湧いてくることを、はっきりと感じていた。

 道はやがてまた山の中に入っていき、峠道になった。ほとんど交通量のない、2車線の峠道。佐崎とブルターレはまた少しペースを上げ、峠道との交流を楽しむかのように駆けて行った。

 あの場所まで、もう少しだ。
 佐崎は、いつになくはやる自分の心に少し驚きながら、ブルターレのごまかしのきかない反応に手こずりながら、次第に近づいてくる今日の目的地に、思いを馳せていた。

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